北海道環海文化研究所がつむぐ物語
北海道やオホーツク海沿岸の北の大地に根づいた先人たちは、たくさんの物語を語り合い、自然や自分たちの道具にも魂が宿るとみて、日々の暮らしを送ってきた「畏(おそ)れ」や「畏(かしこ)むこと」を知った人々でした。その人々が歩んだ苦難の歴史や豊かな精神性を秘めた文化を紹介しつつ、現代の視点で見つめ直すことを目指して、このホームページを立ち上げました。
北海道環海文化研究所公式ウェブサイト
ノンフィクションライター・
北海道・北方文化研究
北海道環海文化研究所は、北海道を拠点に、博物館や新聞社で長年、アイヌ文化や地域の歴史などを研究してきた小坂洋右が主宰する個人サイトです。千島列島や環オホーツクの広がりを視野に入れた各地の紹介のほか、山スキー、登山、カヌー、シーカヤックなどアウトドアの経験を生かしたルポ、体験記もありますので、ぜひご覧ください。
アイヌの時空を旅する 釧路川にて
In 2021
カヌー下りで有名な釧路川を下りつつ、知里幸恵さんが遺した『アイヌ神謡集』の一編に思いを馳せる。なぜ、どこから連想がわいてくるのか…。まずは読んでみてください。
イメージが一八〇度 変わる
今回カヌーを出す塘路湖(釧路地方標茶町)は、釧路川下流部へのつなぎの位置にある。釧路湿原への玄関口の一つだ。
釧路川は、北海道東部で十勝川と並ぶ延長154キロの大河。私はこれまで、ある時は最上流を、ある時は最下流をと、飛び飛びで下ってきた。そうするうちに、「これが果たして同じ一本の流れなのか」という驚きを覚えるようになった。
流域は東京都の面積を軽々としのぐ2510平方キロメートル。国内最大級のカルデラ湖である屈斜路湖(釧路地方弟子屈町)を源とし、上流部は激しく曲がりくねって緑まぶしい広葉樹が迫り、澄んだ水は底を泳ぐ魚の群れさえ間近に見せてくれる。だが、中流を過ぎ、釧路湿原が近づくにつれて、その清爽感は寂寥感に置き換わっていく。川幅は広がって流れは速度と透明度を失い、疎林を背景に河岸はヨシに覆われ、イトウなどの巨大魚がどこに潜んでいてもおかしくないような幽遠な趣きが一帯に充満してくる。上流と下流では、これほど渓相が異なるのだ。
オジロワシ、エゾシカ、そしてタンチョウも
上流も魅力的だが、これから目指す下流域はそれはそれで、立ち入る者の心をつかんで離さない。「よし、ここからだ」。出発早々、気持ちを整え始めた矢先にオジロワシの姿が目に飛び込んできた。
『えっ、もう。こんなにすぐ に……』と、むしろ面食らうほどだ。くちばしが黄色い2羽が、それぞれ首を反対方向に向けてじっと辺りをうかがっている。「精悍」という言葉がぴったりくる顔つきだ。聞いていた通り、新型コロナウイルスの影響で立ち入る人が減り、生き物の姿が今まで以上に間近に見られる状況なのかもしれない。
北海道では一番さわやかな季節、5月下旬の釧路川川下りは、期待とともに始まった。
ほどなく3頭のエゾシカと接近遭遇した。こちらをじっと見つめて動かない。
「あっ、タンチョウだ!」。今度は行く手に純白のボディーがのぞいた。カヌーで近づくぶんにはさほどの警戒心は抱かないようで、無頓着に湿地を歩き回っては食べ物を探している。
高木に枝を集めて造られたオジロワシの巣には、まだ雛がいた。食物連鎖の頂点に立ち、向かうところ敵なしのオジロワシといえども、雛は樹木や巣と変わらない色合いだ。雛が風景に溶け込むそのそばには、子どもを見守りつつ、周囲に目を配る親鳥の姿があった。
じき岸辺に、すっくと伸びるハンノキの樹林が目立つようになった。密でも疎でもなく、下草が枯れて茶色になった時期ならばアフリカのサバンナを思わせるにちがいない光景だ。
「ハンノキといえば……オオカミの子どものお話があったっけ……」。知里幸恵が『アイヌ神謡集』に採録した「ホテナオ」だ。
オオカミの子が謎を解く
浜辺で遊んでいた子狼が、1人の小男と出会う。自分(子狼)に行く手を遮られたことに腹を立てた小男は、「ピイピイ この小僧め悪い小僧め、そんな事をするなら、この岬の昔の名と今の名を言い当てて見ろ」と謎かけをしてくる。
子狼は、自身、笑いながら「誰がこの岬の昔の名と今の名を知らないものか!昔は、尊いえらい神様や人間が居ったからこの岬を神の岬と言ったものだが、今は時代が衰えたから御幣の岬と呼んでいるのさ!」と、いとも簡単に返答する。小男が次に出した「この川の昔の名前と今の名前」も言い当てると、小男は今度は「お互の素性の解き合いをやろう」と言い出した。
聞いて私〔子狼〕の云うことには、
「誰がお前の素性を知らないものか!
大昔、オキキリムイが山へ行って
狩猟小舎を建てた時榛の木の炉縁を作ったら
その炉縁が火に当たってからからに乾いてしまった.
オキキリムイが片方を踏むと片一方が
上る、それをオキキリムイが怒って
その炉縁を川へ持って下り
捨ててしまったのだ.
それからその炉縁は流れに沿うて流れていって
海へ出で、彼方の海波、此方の海波
に打ちつけられる様を神様たちが御覧になって、
敬うべきえらいオキキリムイの手作りの物がその様に
何の役にもたたず迷い流れて海水と共に腐ってしまうのは
勿体ない事だから神様たちから
その炉縁は魚にされて、
炉縁魚と名づけられたのだ.
ところがその炉縁魚は、自分の素性が
わからないので、人にばけてうろついている.
その炉縁魚がお前なのさ.」
云うと、小男は顔色を
変え変え聞いていたが
「ピイトントン、ピイトントン!
お前は、小さい、狼の子なのさ.」
云い終ると直ぐに海へバチャンと飛び込んだ.
あと見送ると一つの赤い魚が
尾鰭を動かしてずーっと沖へ
行ってしまった.
『アイヌ神謡集』は、アイヌ語の原文に幸恵の手になる日本語対訳が付されている。「炉縁魚」に対応しているアイヌ語は 「inunpepecheppo(イヌンペペチェッポ)」で、タチウオのことだ。「榛」は「kene(ケネ)」で、ハンノキである。だからこのお話は、ハンノキが英雄神によって炉縁として使われたのち川に捨てられ、海を漂った挙げ句、その境遇を憐れんだ神様たちによってタチウオに変えられたという一連の出来事が下敷きにある。
ただし、タチウオ自身は自分が元は何者で、なぜ今、魚の姿で海を泳ぎ回っているのかが皆目、分からずに、そのもやもやを抱えながら人に化けては謎かけを繰り返していたのである。子狼がわざと、タチウオが変した小男の行く手を遮って問答合戦に持ち込んだのは、そうしたいきさつをあらかじめ承知していたから、タチウオに救いの手を差し伸べたのだと見ることもできよう。