top of page

北海道環海文化研究所がつむぐ物語

北海道やオホーツク海沿岸の北の大地に根づいた先人たちは、たくさんの物語を語り合い、自然や自分たちの道具にも魂が宿るとみて、日々の暮らしを送ってきた「畏(おそ)れ」や「畏(かしこ)むこと」を知った人々でした。その人々が歩んだ苦難の歴史や豊かな精神性を秘めた文化を紹介しつつ、現代の視点で見つめ直すことを目指して、このホームページを立ち上げました。

Ch2ラッコ=霧多布DSC02971のコピー2.jpeg
G17日7:55天をゆくカヤックのコピー.jpg

北海道環海文化研究所公式ウェブサイト

ノンフィクションライター・

北海道・北方文化研究

北海道環海文化研究所は、北海道を拠点に、博物館や新聞社で長年、アイヌ文化や地域の歴史などを研究してきた小坂洋右が主宰する個人サイトです。千島列島や環オホーツクの広がりを視野に入れた各地の紹介のほか、山スキー、登山、カヌー、シーカヤックなどアウトドアの経験を生かしたルポ、体験記もありますので、ぜひご覧ください。

ホーム: ようこそ
DSC01294.jpeg

アイヌの時空を旅する 釧路川にて

In  2021

カヌー下りで有名な釧路川を下りつつ、知里幸恵さんが遺した『アイヌ神謡集』の一編に思いを馳せる。なぜ、どこから連想がわいてくるのか…。まずは読んでみてください。

ホーム: 最新実績

イメージが一八〇度     変わる

  今回カヌーを出す塘路湖(釧路地方標茶町)は、釧路川下流部へのつなぎの位置にある。釧路湿原への玄関口の一つだ。

 釧路川は、北海道東部で十勝川と並ぶ延長154キロの大河。私はこれまで、ある時は最上流を、ある時は最下流をと、飛び飛びで下ってきた。そうするうちに、「これが果たして同じ一本の流れなのか」という驚きを覚えるようになった。

 流域は東京都の面積を軽々としのぐ2510平方キロメートル。国内最大級のカルデラ湖である屈斜路湖(釧路地方弟子屈町)を源とし、上流部は激しく曲がりくねって緑まぶしい広葉樹が迫り、澄んだ水は底を泳ぐ魚の群れさえ間近に見せてくれる。だが、中流を過ぎ、釧路湿原が近づくにつれて、その清爽感は寂寥感に置き換わっていく。川幅は広がって流れは速度と透明度を失い、疎林を背景に河岸はヨシに覆われ、イトウなどの巨大魚がどこに潜んでいてもおかしくないような幽遠な趣きが一帯に充満してくる。上流と下流では、これほど渓相が異なるのだ。

 

          オジロワシ、エゾシカ、そしてタンチョウも

 

 上流も魅力的だが、これから目指す下流域はそれはそれで、立ち入る者の心をつかんで離さない。「よし、ここからだ」。出発早々、気持ちを整え始めた矢先にオジロワシの姿が目に飛び込んできた。

『えっ、もう。こんなにすぐ に……』と、むしろ面食らうほどだ。くちばしが黄色い2羽が、それぞれ首を反対方向に向けてじっと辺りをうかがっている。「精悍」という言葉がぴったりくる顔つきだ。聞いていた通り、新型コロナウイルスの影響で立ち入る人が減り、生き物の姿が今まで以上に間近に見られる状況なのかもしれない。

 

 

 

 

 北海道では一番さわやかな季節、5月下旬の釧路川川下りは、期待とともに始まった。

 ほどなく3頭のエゾシカと接近遭遇した。こちらをじっと見つめて動かない。

「あっ、タンチョウだ!」。今度は行く手に純白のボディーがのぞいた。カヌーで近づくぶんにはさほどの警戒心は抱かないようで、無頓着に湿地を歩き回っては食べ物を探している。

  高木に枝を集めて造られたオジロワシの巣には、まだ雛がいた。食物連鎖の頂点に立ち、向かうところ敵なしのオジロワシといえども、雛は樹木や巣と変わらない色合いだ。雛が風景に溶け込むそのそばには、子どもを見守りつつ、周囲に目を配る親鳥の姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 じき岸辺に、すっくと伸びるハンノキの樹林が目立つようになった。密でも疎でもなく、下草が枯れて茶色になった時期ならばアフリカのサバンナを思わせるにちがいない光景だ。

「ハンノキといえば……オオカミの子どものお話があったっけ……」。知里幸恵が『アイヌ神謡集』に採録した「ホテナオ」だ。

 

               オオカミの子が謎を解く

 

 浜辺で遊んでいた子狼が、1人の小男と出会う。自分(子狼)に行く手を遮られたことに腹を立てた小男は、「ピイピイ この小僧め悪い小僧め、そんな事をするなら、この岬の昔の名と今の名を言い当てて見ろ」と謎かけをしてくる。

 子狼は、自身、笑いながら「誰がこの岬の昔の名と今の名を知らないものか!昔は、尊いえらい神様や人間が居ったからこの岬を神の岬と言ったものだが、今は時代が衰えたから御幣の岬と呼んでいるのさ!」と、いとも簡単に返答する。小男が次に出した「この川の昔の名前と今の名前」も言い当てると、小男は今度は「お互の素性の解き合いをやろう」と言い出した。

 

聞いて私〔子狼〕の云うことには、

「誰がお前の素性を知らないものか! 

大昔、オキキリムイが山へ行って

狩猟小舎を建てた時榛の木の炉縁を作ったら

その炉縁が火に当たってからからに乾いてしまった.

オキキリムイが片方を踏むと片一方が

上る、それをオキキリムイが怒って

その炉縁を川へ持って下り

捨ててしまったのだ.

それからその炉縁は流れに沿うて流れていって

海へ出で、彼方の海波、此方の海波

に打ちつけられる様を神様たちが御覧になって、

敬うべきえらいオキキリムイの手作りの物がその様に

何の役にもたたず迷い流れて海水と共に腐ってしまうのは

勿体ない事だから神様たちから

その炉縁は魚にされて、

炉縁魚と名づけられたのだ.

ところがその炉縁魚は、自分の素性が

わからないので、人にばけてうろついている.

その炉縁魚がお前なのさ.」

云うと、小男は顔色を

変え変え聞いていたが

「ピイトントン、ピイトントン!

お前は、小さい、狼の子なのさ.」

云い終ると直ぐに海へバチャンと飛び込んだ.

あと見送ると一つの赤い魚が

尾鰭を動かしてずーっと沖へ

行ってしまった.

 

『アイヌ神謡集』は、アイヌ語の原文に幸恵の手になる日本語対訳が付されている。「炉縁魚」に対応しているアイヌ語は 「inunpepecheppo(イヌンペペチェッポ)」で、タチウオのことだ。「榛」は「kene(ケネ)」で、ハンノキである。だからこのお話は、ハンノキが英雄神によって炉縁として使われたのち川に捨てられ、海を漂った挙げ句、その境遇を憐れんだ神様たちによってタチウオに変えられたという一連の出来事が下敷きにある。

 ただし、タチウオ自身は自分が元は何者で、なぜ今、魚の姿で海を泳ぎ回っているのかが皆目、分からずに、そのもやもやを抱えながら人に化けては謎かけを繰り返していたのである。子狼がわざと、タチウオが変した小男の行く手を遮って問答合戦に持ち込んだのは、そうしたいきさつをあらかじめ承知していたから、タチウオに救いの手を差し伸べたのだと見ることもできよう。

ホーム: テキスト
Black and White Star in Circle

              「森と海」をつなぐ構想力
 
 ごく短いお話だが、実は根底に長久の時間が流れている。
 アイヌにとっての「この世界の造られ方」は、アイヌラックㇽ、オキクルミ、オキキㇼムイなどさまざまに称される英雄神が活躍した創世期に始まり、人間は英雄神に教わって初めて衣食住を知るに至った。ところが、最初こそ謙虚に学んだものの、人間はだんだんと英雄神の教えをおろそかにし、神徳を冒涜するようになる。その結果、授けられたありがたいものも次々効力をなくしてしまい、人間に愛想を尽かした英雄神はついにはいずこへと消え去ってしまう。国造りの神が人間界を造るところから英雄神が人間界を去るまでの「創世・黄金時代」と、英雄神を失って衰退した「いまの世」の大きく二つに分けて、アイヌはこの世界の移り変わりをみていた―ということである。だから、子狼が物語の中で言う「今は時代が衰えた」というのはその「英雄神なきあとのいまの世」を指し、昔の名というのは「創世・黄金時代」の呼称のことを言っている。
 それゆえに、この1編は、その短い中に英雄神オキキㇼムイがハンノキを炉縁に使った創世・黄金期から、子狼が小男と出くわして素性を教える衰退期までの2つの時代をまたいだ遠大な時間の流れが織り込まれていると言えるのである。その移り変わりにどれほどの歳月が想定されているのか、知るよしもないが、おそらく数十年、百年などというスパンでは計れない悠久に近い時間が念頭にあるにちがいない。
 こうした長大な時代の変遷が織り込まれているばかりでない。物語は川を通した「森と海」、言い換えれば「陸と海」のつながりという地理的、平面的な奥行きもまた含んでいる。海でタチウオを見る時、アイヌは内陸の川岸などに生えるハンノキを想い起こし、ハンノキを見る時には海を泳ぐタチウオを連想してきたのであろう。時間を縦軸に、空間を横軸にとってあらためて想像をめぐらせば、これほどマクロ的な視座を凝縮したストーリーも、なかなかないのではないかと思わせられる。











 
  




         
「血の木」から「赤い魚」への変転
 
 そしてそれはすなわち、なぜ海にタチウオという細長い奇妙な姿の魚がいるのかという不思議さの「説明」であり、自然界を自分たちなりに整理し、分類していく「解釈」という作業の結果であることも見えてくる。
 言われてみれば、なるほどと気づくのが、細長い角棒が組み合わされた炉縁の一片と、タチウオのすらっと長い「形」の類似だ。だが、そればかりではない。物語はその最後に、沖に泳ぎ去ったのが「赤い魚」だったと語られる。
 なぜ魚は赤いのか。そこにもハンノキの特性との連想がある。ハンノキは、内皮をお湯に浸したり、煮立てると赤い液が出てくる。アイヌ語名「ケネ」は「ケㇺ(血の)・ニ(木)」からきており、ハンノキは「血の木」なのである。かつてアイヌは肺病で血を吐いた時や月経などで血を失った時にはこの赤い液を服用したと言われているし、織物を赤く染める染料としてはこの木の皮のほかはイチイ(オンコ)の木質の芯が知られるばかりだったという。そうした特異な性質や日常での使われ方が、ハンノキを物語の「主軸」に引き立てたということであろう。ただ、タチウオ自体は外見が銀ぴかで、身は透き通っており、「赤い魚」ではない。釧路辺りではメヌキダイをフレチェㇷ゚(赤い魚)と称しており、タチウオからこうした赤い魚への変化というさらなる時間の経過が想定されている可能性もある。 
 ハンノキにはさらに別の性質もある。それは腐りやすいことだ。その特性を知れば、神さまたちが、海に流れ出た炉縁を海水で腐らせてしまうのを惜しみ、魚に変えた際の「切迫感」も感得できる。
 
 ハンノキが海と結びつけて語られる物語には別伝もある。それはハンノキがタチウオではなくて、海獣のトドになったという口承だ。
 
 国土を作った神が、国土を作った時、ハンノキの炉ぶちを作って、踏むと、下座の方に頭をもち上げ、上座の方に頭をもち上げる。腹を立てて、海の上に投げたら、etaspe(トド)になって、ずうっと行ってしまった。その時から、etaspe ”頭をもち上げる者”とゆう名を持つ者が、海の中に居て、その肉もハンノキの様に赤い。
 
 ここでは「赤」という「色」と、「頭をもたげる」という「動作」の二つの共通項をもとにハンノキがトドになったいきさつが語られている。先のタチウオの物語でもそうだったが、ハンノキには反りが入りやすい性質もあるようで、それが神さまの苛立ちを招き、ついには川や海に捨てられる要因となっている点も見逃せない。
 
            
独自のまなざしで世界が像を結ぶ
 
 一般にイナウにはヤナギやミズキが用いられるが、なぜか沖の神であるシャチに捧げるイナウだけはこのハンノキが使われた。それはシャチが赤いものを好むからだと説明されるが、そこでも陸のものと海のものの特別なつながりが暗示されているように思える。
 何のフィルターも通さなければ、混沌、カオスでしかない目の前の自然を、実は人間は、分類学が打ち立てられる近代科学の確立以前から、自分たちなりに解釈、整理、分類してきたのである。そこには、自然の営為の一つ一つを細密に観察し、利用できるものは日常で活用していく眼力もまた駆使されていた。そしてその体系化そのものがストーリーとなってきたのである。しかも、海のものと陸のものを直接、結びつけることに抵抗感を覚えない自然観あってのこうした「解釈」であったことは、いくら強調してもしすぎることはないだろう。
 釧路地方の伝承者、八重九郎さんが、魚を司り、鮭などを地上に下ろしてくれる神、チェパッテカムイについて説明した次の言葉からも、そうした「連環の発想」が見て取れる。
「チェパッテカムイは釧路川にもおるし、石狩川にもおることになってるの。釧路から上さ上って屈斜路湖さ行って、一カ月も二カ月もしてまた戻る。上りしなに寄って休んでいくのが今の塘路湖。カムイ岬っていうとこあるでしょ、あるんだ。塘路でね。そのカムイ岬っていうとこでペカンペ祭するヌサ(祭壇)あるんだ。お宮参りするんだ。そしてそこで、塘路の沼で、何日も休んで、それから、屈斜路湖まで上って行って、屈斜路湖で、何日も何日も、1カ月も2カ月もちゅうか、ずいぶん長いあいだ遊んでいて、それから戻るんだ。……ユカッテカムイ(鹿を司る神)は天にいるんだわ。それでチェパッテカムイは海にいるの」 
 八重さんの話からは、今回漕ぎ出した塘路湖が、海からさかのぼって来る神さまが休息を取る場所であり、幸恵の語りにあるのと同じ名称の「カムイ岬」があり、イナウを並べた祭壇も据えられていることが分かる。まさに「ホテナオ」の問答シーンが連想されるが、カムイ岬は北海道内の随所にあるので、釧路川を物語の舞台に直結するのは早計というものだろう。ともかく、これまで繰り返し見てきたように、「道」といえば、かんじきで自由にルートを切り開ける「雪山」であり、舟で行き来できた「海・川」だったのがアイヌの伝統的な暮らしであって、そこで培われた経験的な地理認識あっての全体的、包括的視野が物語に投影されていることだけは間違いないだろう。
 進化論の知識がある現代人は得てして、木が魚になるといった「生き物の変化」のストーリーを稚拙で、プリミティヴな「おはなし」と一刀両断してきた。しかし、それが偏狭で貧相な見方だったことに、知識が失われ、物語が日常で語られなくなってしまった今になってようやく気づきつつある。先住民族には民族独自の世界像、世界全体のとらえ方があり、それ自体は彼らの見方にのっとれば理路整然と体系化されているのである。
 反対に、「先端」と称される社会を生きる現代人の多くは、祖先たちが経てきた「時間の奥行き」や、蓄積されてきた「知恵」を継承する価値観すら失ってしまい、森、川、海をつながった一体のものとして捉える認識力もまたなくしてしまった。そもそも海、川、森の連環が頭の中にあれば、海を回遊して戻ってくる鮭を河口で根こそぎ獲って、人間だけで独占してしまうなどという発想は生まれてこないはずだし、異議が唱えられてしかるべきであろう。上流で暮らしてきた先住の人々だけでない。熊にもワシにもキツネにも、そして木を支える大地にも、かつては鮭が恵みとなってくれていたはずなのだ。

ホーム: 格言

連絡する

Notebook and Pen
ホーム: 連絡する
bottom of page