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Acerca de

​いま、アイヌの生き方に学ぶ

現代社会が失ったものを映す鏡として 
​                津曲敏郎

『アイヌ、日本人、その世界』  小坂洋右著

 2020年4月、北海道白老町に国立アイヌ民族博物館を含む民族共生象徴空間ウポポイがオープンする。同地にあった民間のアイヌ民族博物館(2017年度末で閉館)を吸収・発展させるかたちで、開設に向けて最終の準備が進められている。本書の著者は、その旧アイヌ民族博物館にかつて学芸員として勤務していた経歴をもつ。その後、北海道新聞記者(現在は編集委員)に転身するが、アイヌ民族文化との出会いが著者の考え方に決定的な方向性を与えたことは、本書に至る著作のすべてからうかがうことができる。前著『大地の哲学 アイヌ民族の精神文化に学ぶ』(未來社、2015年)では、東日本大震災による福島原発事故を受けて、現代社会のひずみが露呈してきた今こそアイヌ民族の精神に学ぶべきことが説かれているが、その主張は本書にも一貫して引き継がれ、展開されている。

 本書は、ウポポイ開設や(北海道を開催地に含むこととなった)東京オリンピック開催を契機として、日本の先住民アイヌに世界の目が向けられるのを前に、日本人自身がアイヌについての認識を新たにする必要性を訴えるとともに、海外に向けての発信をも意識した作りになっている。内容は著者の言を借りれば、「アイヌ民族と日本人の精神世界の違いに分け入り、双方の関係史などを記録や証言、口承伝承をもとに俯瞰する第一部<人々は聴き、大地は見てきた>と、北海道を中心に国内外の各地を巡り、現代を生きるアイヌ民族との出会いをルポルタージュ風にまとめた第二部<世界は変わった でも、生きていく>の二部構成」(7頁)からなる。本文200頁ほど、そのあと30頁を超す詳細な注と参考文献をはさんで、残り140頁は英文によるダイジェスト版にあてられている。つまり、本格的な日英バイリンガル出版物のかたちをとっている点で類書を見ない。英語版を合わせた狙いは、観光客や研究者、先住民族を含む訪日外国人に、アイヌの(広くは先住民族の)歴史や精神世界を共有してほしい、というところにある。

 実際、日本を訪れ、あるいは日本に何らかのかかわりを持つ外国人にとって、先住民アイヌに対する関心はかなり高いが、その関心に的確な知識とビジョンをもって答えられる日本人は(語学力の問題は別としても)多くはないだろう。それならば、と外国人がみずから情報を求めようとしてもほとんどが日本語で書かれていて、英語による記述は、概略の域を出ないか、逆に学術的・専門的に過ぎるようなものばかりだ。本書には外国人読者にとって、これまでの欠を埋める働きが見込まれる。それだけではなく、アイヌ民族を含む日本語読者にとっても、英語版の併録は実際的・象徴的両面の意味がある。たとえば、本書がホームステイ先の家庭やゲストハウス、学校や公的施設等で、訪日外国人とのコミュニケーションの仲介役を果たす場面は容易に想像できる。さらに、世界に3億人(本書186頁)とも言われる先住民族の一つとしてアイヌを位置づけること、言い換えると、国内で意識の片隅に追いやられている感のある問題を、国際的な文脈から問い直すきっかけとなることが期待できる。

 著者の指摘のうち、アイヌ(を含む先住民族や縄文人)が「クニを持たない」生き方をあえて選択してきたことが社会の持続を可能にしたが、その一方でクニを持った人々により、人類史のうえでは短期間のうちに農業革命、産業革命、さらに情報革命が進行し、急速な社会変質の過程で各地の先住民族が国家に征服され、支配に甘んじてきたこと、そんな中で現代社会が失ったものを映し出す「鏡」として、いまこそアイヌの考え方・生き方に学ぶべきであるという主張(第2部第1章)の流れは明快で説得力を持つ。内外の研究文献や伝承の記録、調査報告書に至るまでの丹念な参照と周到な注記は学術論文的でさえあるが、自身の現地調査やインタビューによるデータも駆使して関係者の肉声や証言を丁寧に引用しつつ読者を引き込む筆致は、ジャーナリストとしての力量をうかがわせるに十分な好著である。(つまがり・としろう=北海道立北方民族博物館長・北海道大学名誉教授)

 ★こさか・ようすけ=北海道新聞編集委員。著書に『星野道夫 永遠のまなざし』『アイヌを生きる 文化を継ぐ』『流亡 日露に追われた北千島アイヌ』など。1961年生まれ。

 (週間読書人 2019年12月13日付)

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